October 03, 2004

ヤマト運輸と日本郵政公社

郵政民営化を最優先課題とした第二次小泉内閣が発足した翌日の9月28日、ヤマト運輸(ヤマト)は日本郵政公社(郵政公社)の「ゆうパック」がローソンの取次店となったことに対し、独占禁止法上の不公正な取り引きとして、東京地裁に提訴した。

ヤマトが提訴したのは、民間企業が税金や配当金を支払っているのに、税金の優遇や信書の独占をしている郵政公社とは、公正な競争はできえない等というもの。

これに対し郵政公社は、宅配市場のシェア30%を越えるヤマトに対し、6%程度しかない「ゆうパック」は、ヤマトを圧迫するというレベルではなく、またユニバーサルサービスを義務づけられているため、大変なコスト高を強いられている等と主張。

10月3日付けの日経新聞によると、自社の効率改善が進まないヤマトが、高コスト体質に焦りを感じ、価格競争を恐れ提訴に至ったとの見方をしている。

本当にそうだとすれば、ヤマトに更なる奮起を促したい。過去数十年にわたり利用者のニーズに応えるため、規制や競合との戦いの末、今日を作り上げてきたように、再度初心に返り、守りではない、将来に向けて利用者に更にメリットのあるサービスを作り上げていって欲しいと思う。

時をほぼ同じくして、10月1日、NTTグループは固定電話の料金をこの12月から順次値下げすることを発表した。中でも基本料金の引き下げは1985年の民営化以来はじめてのことだという。
これは、ソフトバンクグループの日本テレコムやKDDIが、先に発表した固定電話基本料金の値下げ等に対抗するものだ。

競争があるところにしか、技術やサービスの向上は望めない。
ヤマトと郵政公社の場合と同様に、利用者にとっては、寡占化された業界から競争のある業界に変わることで、商品やサービスのコストを引き下げることができ、一般利用者や消費者のメリットにつながる。

そこで最大のポイントとなるのは、同じ土俵で「公平に競える」ということであり、その中で「利用者や消費者に支持された」企業が生き残っていけるといことだ。

今回のヤマトの提訴は、「公平に競える」という観点から見ると一理あるが、「利用者や消費者に支持される」という点では、一概に肯定できるものではない。価格だけではなく、サービスを含めたヤマトの今後の取り組み姿勢の真価が問われることになる。

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September 26, 2004

政府のBSE対応

9月上旬、政府の食品安全委員会は、生後20ヶ月以下のBSE(牛海綿状脳症)感染牛の検出は困難であり、検査対象から外しても感染するリスクは増えないとし、01年10月から続けてきた全頭検査を見直し、国内のBSE対策を緩和する方針を決めた。

この検査基準について、国際的には、検査が困難とされるのは生後24ヶ月以下とされているが、米国は、30ヶ月以下は危険性がないと主張している。

現在、日本への輸入が禁止されている米国産牛肉についても、日本が示したこの検査基準を米国が受け入れれば輸入解禁の方向に向かうという。

しかし、消費者団体からは「BSEに感染するリスクが十分に解明されていない段階で、検査基準を緩和するのは時期尚早だ」との意見が多く出され、国産牛肉の生産者も「全頭検査は牛肉に対する消費者の信頼性を確保する効果がある」として、全頭検査の継続を求めている。

今回の食品安全委員会の言う「生後20ヶ月以下のBSE感染牛の検出は困難なため、全頭検査を緩和する」という方針は、全く筋の通らない、おかしな話だ。

「現在は検査技術の精度が低いため、精度アップのための取り組みを更に強化し、判別ができる態勢が整うまで販売を禁止する」ということであれば理解できるのだが・・・。 「米国産牛肉の輸入解禁ありき」としての対応としか思えない。

今までも、このような行政の安易な対応により一般の国民が被害者となり、泣き寝入りせざるを得なかったことは少なくない。国民の税金により公僕として、国民ひとりひとりのためにある行政機関であることを、再認識して欲しい。

しかし、政府がどうしても検査基準を緩和するというのであれば、遺伝子組換え食品等の表示義務と同様に、未検査牛を使用した製品には「未検査牛使用」という表示を義務付けるべきだ。これは本来の形ではないが、消費者が容易に購入判断のできる態勢づくりが最低限欠かせない。

今後、このBSE問題がどのような方向に進んでいくのか、まだわからないが、我々は注意深く関心を持ち続けていくことが重要だ。

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September 19, 2004

かけがえのない命を守るためには厳罰化が必要だ!!

最近、日本各地での殺傷事件が連日のようにマスコミで報道され、恐ろしいことに、我々受け取る側にとっても日常化してきてしまった感がある。
互いのトラブルの解決手段として動機が明確なものに加え、直接関係のない幼い子供達やお年寄り、そして深夜に一家全員が被害者となる等、痛たまれない事件も多発している。

今日のように殺傷事件が多発し日常化してしまうと、法的な圧力により、人間が生きていく上での基本的なルールを守らせていく必要がある。犯罪により自身が拘束され相当な責任をとらなければならないことを強く自覚させ、犯罪を犯すことが自身にとって大きくなマイナスとなることが意識できるような強い牽制機能が必要となってくる。

また、本来罰せられなければならないのは加害者である筈が、加害者の権利が必要以上に重要視されている面も多い。「更生の余地がある」等の理由によって減刑されたり、プライバシーが保護されたりである。

自分の都合で人を殺害した加害者に、将来更正して生きていく権利があるのか。何もできずに将来を絶たれてしまった被害者の権利はどうなってしまうのか。被害者はやられ損か。全く不条理な話である。

加害者の明らかな過失によるものや禁治産者の場合は別の話であるが、あまりにも加害者の権利のみが尊重され、犯罪に対する牽制機能が弱いように思えてならない。
 

厳罰化による牽制機能の良い例として、2001(平成13)年の刑法改正と道路交通法の罰則強化等により、交通事故の死者数が下降傾向になってきたことが挙げられる。

悪質・危険な運転行為等により死傷させた場合には,故意犯として重く処罰され、致死罪は「1年以上15年以下の懲役」となった。それ以前は、業務上過失致死傷罪として「1月以上5年以下の懲役もしくは禁錮又は50万円以下の罰金」という信じられない程軽いものであった。
 
交通事故での死者数は、直近でのピーク時の年間11,500人から見ると、2003(平成15)年では、年間約7,700人と大幅に減った。これは罰則強化による効果の表われだとも言える。

しかしそれでも、1日あたり21人以上が交通事故により死亡しているという恐ろしい現実がある。そのうち4人に1人に当たる約2,000人が、本人に全く過失や違反がない被害者だという。一日あたりに換算すると、5人~6人が悪質なドライバーによって命を奪われているのだ。

飲酒運転やスピードの出し過ぎ、自分自身の不注意により、罪のない人を死傷させてしまうことの重大性を軽く考え過ぎているのだ。先の刑法改正と道路交通法の罰則強化が、その重大性の自覚を少しでも高め、牽制機能の役割を果たしたのだと思う。


 今、各地で多発している殺傷事件が、交通事故のように「超日常化」させないためにも、今こそ牽制機能としての「厳罰化」が必要な時だと思う。

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September 11, 2004

「9.11」&「9.17」

今日は「2004.9.11」
ニューヨークのシンボル的存在だった世界貿易センタービルがテロにより崩壊して丸3年を迎えた。その現場「グラウンド・ゼロ(爆心地)」では、犠牲者の遺族らが集まり、午前8時半(日本時間同日午後9時半)すぎから追悼式典が開かれた。

日本においても、マスコミでは数週間程前から、「9.11」の特集が繰り返し放送され、当日には、日本人が主役となったテレビドラマまでも放映された。

それらのほとんどが、米国側、西欧諸国側、そして無意識のうちに洗脳(?)されている日本人側の立場から捉えた特集でありドラマであったように思われる。 しかし、反対の立場から捉えた場合は、全く正反対の思いであり、出来事なのであろう。

「米国同時多発テロ」(2001.9.11)のあった一年後(2002.9)に、別のサイトで掲載したものを、以下に転載します。

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 最近あまり話題に上らなくなった小泉内閣メールマガジン第61号(9/12)「テロから一年」の一部抜粋です。

 『グラウンドゼロ(爆心地)。ぽっかりと空いたニューヨーク世界貿易センタービルの跡地に立って、一瞬にして、あの巨大なビルを破壊し、60カ国以上の国々の3000人もの犠牲者を出したテロの残酷さに、心が引き裂かれる思いを押えることができませんでした。
 「テロとの戦いは終わっていない。」「世界が力をあわせてテロに立ち向かっていかなければならない。」そういう思いで、黙祷を捧げました。 世界の平和と安全のために、私たちに何ができるのか、何をなすべきなのか。テロの防止、地域紛争の防止そして大量破壊兵器の拡散の防止など真剣に話し合うつもりです。』 

先週、テレビや新聞では、昨年の9月11日に起きた「米国同時多発テロ」の追悼式の様子や特集を大々的に報道していた。決して忘れることのできない事件であり、決して許されるべき行為ではなく、二度と起こしてはならないことだ。

しかし、日本のメディアだけを見ていると、あの3000人の人々だけが犠牲者であったように錯覚してしまう。その後の米英の武力により、アフガニスタンの多くの一般市民も犠牲になっているのだ。
 
歴史をさかのぼれば、今の西欧諸国は、中東や東南アジア諸国に対して、テロ以上の侵略行為で、多くの人々を犠牲にしてきた。侵略された側の立場から見たら、米国を始めとする西欧諸国がテロ組織そのものであったことに違いない。
 
今週17日、日本の首相として始めて小泉首相が北朝鮮を訪れることになる。日本人側の視点では、現在の北朝鮮の不審船や拉致行為は許されず、拉致された人々を第一優先に解放すべきだということになる。
しかし北朝鮮側、また北朝鮮の人々からみれば、半世紀以上前に日本が朝鮮半島や中国大陸に侵略し、多くの人々の犠牲を強いたことの方が、何倍も許されない行為であったはずだ。

現在の拉致行為も問題ではあるが、拉致問題だけをクローズアップする前に、過去の日本の行為に対してけじめをつけることが先決だ。頭数の問題ではないが、日本の侵略により、今回拉致された日本人の何百、何千倍もの北朝鮮の人々が犠牲になっているのである。

長い歴史の中で、互いに戦争や暴力で傷つけあってきている訳で、悪の枢軸とかテロ国家というのは、あくまでもその時の一方の論理でしかない。

米国は大量破壊兵器に関する国連査察の受け入れを拒否しているイラクに対して、再度攻撃を企てているという。国連決議を通じて正当化し、武力で押さえ込もうとしている。
米国のイラク攻撃に対し、日本は決して賛同してはならない。そしてあくまでも武力ではなく、話し合いにより解決すべきことを提案し続けるべきだ。

小泉首相はメールマガジンで「世界の平和と安全のために、私たちに何ができるのか、何をなすべきなのか話し合う」と言っていた。武力やテロ行為では何も解決しない。同じことの繰り返しになるだけで、長い歴史がそれを物語っている。(020915)
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September 05, 2004

テロ・武力・暴力では何も解決できない

平和の祭典、記念すべきアテネオリンピックが閉幕したのもつかの間の9月1日、ロシア南部北オセチア共和国で「学校人質事件」が発生した。多くの子供たちを含む約500人以上が死者・行方不明者となったテロ事件だ。
被害者の多い少ないは別として、これらテロについては、激しい戦慄とやり場のない憤りを感じざるを得ない。

丁度一週間前の8月25日にも、ロシアの「2旅客機墜落事件」、「地下鉄爆破事件」、またイラク各地でも止まることのない戦闘やテロが続き、イスラエルとパレスチナの衝突等、過去においても数え出したらきりがない。
テロ・武力・暴力では何も解決できないことは明確なのに、依然として同じことが繰り返されている。

2年前の10月に起きた「モスクワ劇場占拠事件」や「バリ島爆弾テロ事件」のあった直後に別のサイトで掲載したものを、以下に転載します。

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国際的にテロ事件が多発している。10月に入って報道されているだけで、16件のテロまたはテロの疑いのある事件が発生している。

また、一般的には「テロ」とは呼ばれていないが、イスラエル軍のパレスチナ攻撃やロシア軍のチェチェン侵攻、そして1年間以上も続いている米国のアフガニスタン空爆、そしてこれから行われるであろうイラク攻撃、そのほかにも、米国のワシントン近辺で起きた無差別連続狙撃事件、そして先週末の民主党国会議員の刺殺事件等、武力行使や暴力事件も絶えない。
 
多くの死傷者を出した、2週間前の「バリ島爆弾テロ事件」、先週の「モスクワ劇場占拠事件」も、テロにより政治的な問題を解決しようとする武装勢力によるものだ。当然のことだが、これらのテロ行為は決して許されることではない。

しかし、彼らがテロ行為に至った根本的な問題を解決することなく武力により押さえつけようとしても決して解決はできない。「モスクワ劇場占拠事件」では、夫や兄弟をロシア軍に殺され、復讐のために死を覚悟して占拠に加わったという女性もいるという。イスラエルとパレスチナの問題、アフガニスタン問題、イラク問題も全く同様である。
 
10月初めに発表された、米国のある大学教授の調査によると、米国のアフガニスタン空爆による民間人の死者は3000人を越えているという。米政府が今年4月に発表した、昨年9月の同時多発テロの死者は3057人ということだが、米国もまた罪のない多くの人々を犠牲にしているのである。米国の行っている武力攻撃も絶対に許せることではない。

米国が中心となり国連を巻き込み強力に推し進めている「北朝鮮やイラクの核査察問題」についても、米国自身が既に核を持ち、定期的に核実験を行っているにもかかわらず、核を開発・保持するなという論理もおかしい。「自分も一切保持しないから、あなたも保持しないでくれ」というのが、道理であり、普通の人間の考え方である。

我々日本人も知らず知らずのうちに、米国のこの不条理な軍事行動や道理の通らない行為に間接的に加担してしまっているとも言える。

今世界中で起きているこのテロ・武力・暴力行為に、我々日本国民は、もっと感心を持つべきだ。そして一方向からだけの論理に迎合するのではなく、その根底に流れる問題を平和的手段によって解決していくべきことを強く認識し、行動していくべきではないか。
 
マスコミのひとつの役割として、北朝鮮の拉致問題だけを当人達の迷惑や立場も考えずに執拗に報道するだけではなく、また国際社会での出来事を「対岸の火事」的に報道するだけではなく、これらテロ・武力・暴力の絶滅に対して、全世界的な視野に立ち、より踏み込み、国民を巻き込む一大キャンペーンを繰り広げる原動力づくりをしていくことだ。そして武力によって解決をはかろうとしている国々や集団に圧力をかけていくべきではないかと思う。

テロや武力・暴力では何も解決できないことは今までの歴史が証明している。それらによって紛争を解決しようとする姿勢がどうしても許せないのだ。(021027)
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スタートにあたって

毎日毎日、新聞・テレビ・ネット等を通じてあふれるばかりのニュースや出来事が、否応なしに自分の身に飛び込んできます。
全く興味のないことやいつまでも頭の中に残っていること、感動することや怒りを感じること、納得できることやちょっとおかしいなと思うこと等、その受け止め方は、私自身やまわりの人々にとっても様々です。

そんなニュースや出来事の中で、私が特に印象に残っているものについて取り上げ、その時々に感じたことを、大上段に構えずに日記レベルで書き留めております。

新規の他に、過去に別のサイトで掲載した内容も加え、ダブルで掲載していきます。現在と多少状況やニュアンスが異る場合もございますのでご了承ください。

どうぞお気軽に、ご意見・ご感想をお寄せください。

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